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コラム 雪国って最高!

vol.80

 子供の頃、早春の主役はつくしだった。当時子供たちが意味もわからずに「キカンコ」と呼んでいた場所にいくと、草相撲に使う立派なおおばこやぺんぺん草など、いいものが手に入った。
 つくしをたくさん採って家に持ち帰る。やがてスギナとなって母の庭の邪魔者となるのだが、しかられた記憶はない。雪が溶けて真っ黒な大地が出てきた後に顔を出す、待ちに待った春のしるしだったから。
 大人になって何十年も暮らした土地にはつくしがなかった。つくしを見たのは生物の授業の時アルコール漬けになったものだけ。1年中夏のようなところだった。
 今、季節の変化を知らせてくれるものに囲まれそれをしっかりと感じ取っていると、
生きていることを実感し、生き続ける力が湧いてくる。

(2019年3月16日号)

vol.79

 記憶の中の冬は雪がぼそぼそ降っているか、ふわふわと落ちているか時々の贈り物のような青空しかなかった。雨、という概念はゼロだった。
 この冬はスノーマンを作っても、たびたびの雨ですぐに溶けてしまいそうでなかなか取り掛かる気になれないでいる。歴史ある雪まつりも、気候変動の証のように悲しい事故が起きてしまった。
 地球温暖化が止まることはないだろう。雪祭りも方向性が変わっていくだろう。雪国の冬を明るくするために生まれた雪祭りなのだから、観光客のためでなく、まず雪国に暮らす人たちが楽しいと思える、冬を待ち遠しく思えるような祭りにかわっていってほしい。
 それはひょっとして昔に戻る、ということかもしれないと感じている。

(2019年2月15日号)

vol.78

 ため息が出るほど美しい風景写真を見ても、人によって反応が正反対になることがある。地域情報紙「雪ありて第11号」の表紙を見た瞬間「きれい!」と思う人は、雪国暮らしを楽しんでいる人である確率が高い。でも「寒そう!」という反応が意外に多かった。
 冬至が過ぎると、北半球は春にむかって着々と軌道を転じていく。もう10日以上が過ぎた。まだまだ寒さはこれから本番と落ちこんでいる皆さんへ、大寒のたった2週間後は立春です。
 どんなに嫌っても、雪は必ず降るのだから、そして雪はなくてはならないものなのだから、1年の3分の1以上を、嫌だいやだと言いながら生きていきたくない。
 雪を受け入れ、楽しんで、雪国の四季の変化の美しさを堪能しながら、新しい1年を
過ごします。

(2019年1月1日号)

vol.77

 5年ぶりにアメリカから遊びにきた親友の娘たち。前回は紅葉まっさかりで、棚田やブナ林の美しさに目を見張っていた。
 今回は雪を待つ季節。まるで芸術のように雪囲いされた木々を眺めながら、光の館に行く。どの部屋も光と影の効果が完璧に演出されている世界に、ふたりとも驚いていた。次はずっと前から計画して、ここに泊まろうということになった。
 春から秋までは、深く生い茂っていた周りの木々はすっかり裸になって、遠くの山々までみわたせる。この次来るときは全然違う景色が見えるだろう。そして、その季節も間違いなく美しいだろう。
 雪国はそのすべての季節を体験すると、本当の美しさがはっきりと見えてくる。
彼女たちにすべての季節を見せたいと願っている。

(2018年12月15日号)

vol.76

 「ここは何もないところだから」という言葉をこの町だけでなく、地方の人たちがテレビで言うのを聞くことがある。聞くたび、悲しさを通り越して怒りさえ感じる。そう言っている人の周囲には、鮮やかな自然が広がっているのだから。じゃ、一体何があったら「何かがある」ことになるんだろう? 
 先日、運転中に迷いこんだ山の中で、すばらしい景色に出会った。偶然にも名のある棚田だった。ラッキー! これは自分で発見した特別な場所。
 帰る途中、麓の町を見下ろす。この先には地元食材を使った最高のレストランや心に響く芸術作品がある。そしてまだ私が知らない美しい場所が隠れている。全くこの町は面白すぎる。ワクワクが多すぎて、都会はもちろん隣町にさえ足が向きません。

(2018年9月15日号)

vol.75

 激しい季節が去りつつある。日照りと酷暑の中での大地の芸術祭。世界中からたくさんの人たちがこの地を目指してきていることに驚いた。でも実はそれ以上に、芸術祭のために働いている人たちのパワーを感じた夏だった。
 地元だけでなく、市外や外国からのボランティアの数は、全人口を上回ったのではないだろうか。そしてお客さんが持ち込むいろいろな難題を、誰もが本当に一生懸命解決しようとしていた。
 「みなさんすごく親切!」とにっこり笑っていた、ひとり旅の若い女性。そう感じてくれた人たちがたくさんいたに違いない。それはまるで、妻有の里の上にすっぽりと優しさの雲がかかっているようだった。
 この無償の思いやりのうえに、大地の芸術祭は成り立っているのだった。 

(2018年9月15日号)

vol.74

 芸術祭案内窓口に座った。外国からのお客さんが多い。様々な情報を求め、相談事、困りごとでやってくる。
 残念だったのは、車なしでは行けないところの方が絶対的に多いことだ。棚田を見たいという人にタクシーで行くしかないと答えるのは、相当気がひける。その場でボランティア仕事を放り出して、自分の車で案内したくなる。
 とても怒っていたフランス人がいた。詳しくは書けないが、もうここにはいたくないから京都に行くという。引き止めることはできなかったけれど、他にすばらしいところがいっぱいあるから、必ず戻ってきてほしいと話して、わかってもらえたと思う。
 少しでもたくさんの人たちに楽しい経験をしてほしいと心底願う。街でお客さんらしい人を見かけたら、にっこり笑いかけましょう。それだけで十分いい思い出になります。 

(2018年8月11日号)

vol.73

 大地の芸術祭、ただ今準備真っ盛り。
 私にとって3年越しの念願だった作品制作のボランティアをはじめた。キナーレの中庭は、熱気に満ちている。国内外のアーティスト、学生さんたち、地元サポーター、そして国内だけでなく、外国からやってきたボランティアの方たち。
 貴重な時間を費やして遠くからやってきて、自費で食事をし、汗だくで働いている人たちがたくさんいた。できることならば、そこにいるすべての人たちに、この町自慢のおにぎりやへぎそば、おいしい野菜を差し入れたかった。
 前回まではただ鑑賞するだけだった芸術祭。今回は、自分がお手伝いした作品に特に親しみを感じることになるだろう。写真のこの作品のなかで子供達が遊びまわる
姿を見守るのが、めちゃくちゃ楽しみだ。

(2018年7月14日号)

vol.72

 去年の秋に続いて、室野の古民家で開催された野の花展に友人たちを誘って行ってきた。中2階のある広々とした未来的な空間に展示されている、野にある時とは違う表情の花たちの中で、ゆっくりとお抹茶をいただく。
 それから足を伸ばして、竹所集落の古民家カフェでケーキ。集落内のあちこちにドイツ風古民家が点在して、ここはいつ行ってもおとぎの国だ。 
 ランチはキョロロのレストランで山菜づくし里山定食。外のかまどで糠(ぬか)で炊いたご飯のおにぎりは感動的だった。東京から来たという高校生たちが、山盛りのご飯のおかわりをしていた。
 なんだかとてもセンスのいい贅沢な初夏の一日。これから週末には、ちょっとおしゃれをして山に行こう!

(2018年6月15日号)

vol.71

 「雪ありて・第7号」に書いたように、長年の夢だった木の芽をどんぶりでいただいている至福の季節。鮮やかな緑色、シャキシャキの歯ごたえ、ちょっぴりの苦味。長い間あこがれてきたどんぶり木の芽。世界中のどこにもない、この地でしか食べられない春の味。
 木の芽熱愛家としては茹で時間にもうるさい。お浸しの場合は茹で時間50秒が一番、長くても1分と決めてきた。
 最近すごいお話をうかがった。その人は、木の芽は採りながらむしゃむしゃと食べちゃうとか。究極の木の芽好きの食べ方、生の木の芽?! さっそく真似をしてみる。確かに採りたては柔らかく、苦味が爽やか。でも、夕食には茹でた方がいいと思う。
 皆さんのお好みの木の芽の茹で時間はどれくらいですか?

(2018年5月15日号)

vol.70

 南の方からピンク色に染まっていく頃、雪国はまだまだ色がなく、春浅い。そんな時、不覚ながらちらっとうらやましさがある。いやいやそんな気持ちは吹っ切って、雪国にしかない春を探しにいこう。
 芽吹き寸前のブナ林。真冬の頃と違って、空は明るい水色。根あけも進み、幹はすっかり乾いてブナの特徴的な模様が浮き出ている。新緑はまだなのに、森の中は柔らかいパステルカラーの光に満ちていた。
 よくみると、枝の先が大きく膨らんでいるものと細長いのとがある。この丸く膨らんでいるのが数年に一度だけ咲くブナの花芽で、キョロロの学芸員さんのお話では、今年は大豊作。この文が掲載される4月中旬頃から咲きはじめるらしい。
 ブナの花と出会う、雪国の春。

(2018年4月14日号)

vol.69

 子供の頃、道踏みが大好きだった。学校から帰るとカンジキを履いて、玄関から雪を踏んで道を作った。ついでにお隣の家の前まで踏んだ。子供には遊びだったから。
 半世紀後、私は相変わらず道踏みをして遊んでいる。スノーシューというおしゃれな名前の、カラフルなカンジキを履いて。
 まっさらの雪の上に、たくさんの足跡がある。ウサギ、テン、タヌキ、シカ。木の皮をかじった場所、走った跡、滑った痕跡。狩るものと狩られるものの足跡が複雑に交差して、人知れずに起ったドラマの跡を、スノーシューで踏みしめていく時、触れ合うことは決してできない野生の生き物たちを、身近に感じることができる。
 本物の春が来るまで、もうしばらく早春の道踏みを楽しみたい。

(2018年3月15日号)

vol.68

 雪国に暮らして7年。ものすごく感心している事がある。それは、どんな大雪でも楽しいことはキャンセルしない、という姿勢。
 大寒波の夜、私は横殴りの雪の中をしょぼしょぼと歩いていた。こんな季節に着物パーティーだなんて、こんな猛吹雪の中を着物着てくる人なんていないでしょ!
 驚いたことに、会場は熱気に埋まり、着物姿の人たちで華やかに埋まっていた。
 舞台の上で繰り広げられた着物リメイクショーは、かつての「着物を作り直した」というイメージからはかけ離れた、センスのいいレベルの高い服ばかり。そのままパリに行っても十分賞賛されます。
 着物の生地から作る服として、着物の町ブランドをたちあげるべき。
 誰か、挑戦しませんか?

(2018年2月16日号)

vol.67

 車から降りた瞬間、ぶるっと震えた。山の中は気温が数度は違う気がする。元小学校だった美術館の中は底冷えがした。
 その寒さは、かつて子供たちの声に埋まっていた教室の扉を開けた時、消え去った。魂に響く衝撃だった。教室全体に広がる大きな絵の数々。白一色の細かい線と単純な形だけで描かれた、素朴なはずなのに繊細で洗練された絵。古い歴史を持つワルリー画は、不思議なほど未来的だった。
 暑熱のインドからやってきたアーティストたちが、雪国に暮らして描いているという。物質ではなく精神が支配する国の人たちが雪に触れて生み出していたのは、時間と空間を超越した世界だった。
 その絵の前にずっと座っていたかった。ただ、じっと座っていたかった。

(2017年12月15日号)

vol.66

 不思議な、そして美しい家にお邪魔することができた。外観にまず驚く。え、これが本当に築140年の古民家? 
 中のモダンさには心の底から驚いた。最初に建てられた姿のままとのことだけれど、そのデザインは未来的でさえあった。
 どっしりとした梁。明かり取りのガラスの床というか天井。中2階のような空間でつながる部屋部屋。こういうおしゃれな間取りの家で、かつてどんな暮らしが営まれていたのだろう?
 山の中で時折見かける古い家。あの家たちはどれも、この家のような秘密の姿を隠し持っているのかもしれない。ひょっとすると山の中は、すごい宝物だらけなのかもしれない。この宝をどんどん発掘して磨いていったら、わくわくするような魅力的な里山が生まれそうだ。

(2017年11月16日号)

vol.65

 不覚ながら、強烈な風邪に襲われた。鬼の霍乱というのだとか。やっと起き上がった日、猛烈に自然が恋しい。遠出は無理なので、川原へ。
 生い茂ったススキの間を縫うトレイルを歩く。秋色の森の向こうに時おり大河信濃川の流れが見える。この川は信濃の国を流れているときは違う名前で、越後に入ってからこの名になるという。この地の人たちは、自分たちではなく上流の国の名前をつけたのだ。領土問題も、この優しさがあったら違ったものになっていただろうに。
 青や紫の野葡萄の実が宝石のように輝いている。足元で虫たちが鳴き、遠くの空を大きな鳥が悠々と舞っている以外、だ~れもいない。なんていう贅沢。
 家に帰って、野葡萄の実でリースを作って飾り、霍乱終了。

(2017年10月14日号)

vol.64

 友人たちの個人ガイドをすることが増えた。棚田やブナ林、著名な芸術作品。地元食材を使ったとびきりの食事。癒しの露天風呂。夢のように楽しいと評判がいい。
 そこでこの夏、ガイド助手としてツアーに参加させていただいた。 
 お客さんは東京に住む外国人や、名古屋からの人たち。松代農舞台から津南のひまわり迷路まで、丸一日かけて回る日帰りツアーで、移動が多いので忙しい。でも誰もが心から満足してくださった。もっとツアー料金が高くてもいいという意見まであった。
 新たな出会いから生まれる感動。そして皆さんのすばらしい笑顔。こちらが得るものの方が大きい。ガイドは奥が深く大変な仕事だけれど、来年の大地の芸術祭をめざしてしっかり
学んでいきたい。

(2017年9月15日号)

vol.63

 山の中のくねくね道を、あてもなく運転するのが楽しい。
 その集会場の前を通ったのは、偶然だった。そこでハイカーの女性と出会ったのは幸運だった。教えてもらわなかったら、道がわからなかっただろう。
 指示された通りに草の中に車を止めて歩き出す。空気がすうーっ、と涼しくなってきた。水の音に導かれて森の中を進む。次第に水音が大きくなる。
 深い緑の奥に突然現れた滝。思いがけない大きな美しい滝だった。かんかん照りの真夏の太陽が、そこだけ届いていなくて、ひんやりとした風が吹き抜ける。
 あの滝のカーテンの向こうには、全然別な世界があるのかもしれない。山々が大切に包み隠していた秘密を、こっそりと教えてもらったようなワクワクする冒険だった。

(2017年8月11日号)

vol.62

 梅雨空を吹き飛ばすように、花いっぱいの催しが開かれた。着物の町らしく洗練された花と緑で埋まっている。もともと花屋さんの多い町だと感じていた。園芸店かと思ってのぞきこむと、個人の家の玄関だったこともある。
 町の中でも塀で完全に囲われた家をあまりみかけないのは、冬季の除雪に邪魔になるからなのだろうか。代わりに誰もが家の周りを花で飾っている。塀の中の閉鎖空間で自分たちだけで楽しむためではなく、通りすがりの人たちを幸せにするための花を育てる人たち。
 それは知らない人を拒否せず温かく受け入れる、この町特有の雪国気質に通じているような気がする。塀ではなく花に囲われた家並みは、雪のない季節の雪国の美しさだと気づいた。

(2017年7月15日号)

vol.61

 1年前3羽の子ツバメを無事育て上げた若夫婦が帰ってきた。去年の小さすぎた新居を増築し、立派な家が完成。
 ところがその増築部分の接着が完全でなかったのだろうか、ある朝その部分がだらりと垂れ下がって、中の卵が落ち、割れていた。鳥も人も、茫然自失。
 街を歩いていても、ツバメの巣を見かけることが少なくなった気がする。南から何千キロもの距離を飛んでくる青い鳥たち。彼らが飛び回っていた去年の庭は幸せにあふれていた。フンの掃除など、本当になんでもないことだった。
 6年目を迎えた我が家の庭は、今輝いている。でも何かが足りない。ツバメさえいてくれたら完璧だった。どうしたらツバメが安心して子作りできる家になるのか、悩み中。

(2017年6月15日号)

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