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コラム お魅せしましょう 越後のミケランジェロ

vol.47

本成寺塔頭寺院に残るサル
 サルは十二支の一つでもある為、雲蝶の作品には度々登場する動物です。
 どのサルを観ても表情が豊かで癒されるものばかりですが、三条にもとっておきのサルがいるんです。
 三条の本成寺には11ヶ寺の塔頭寺院があり、その内の蓮如院は雲蝶が婿入りした酒井家の菩提寺です。そこに雲蝶の位牌と、サルスベリという自然木の木の股に腰を掛けているサルが1匹。そのサルの表情が何とも言えずユーモラスなのです。手に柿の実をもっていたとされるのですが、当時の子どもたちのおもちゃになっていたようで、今は柿だけが行方不明です。どこでも、雲蝶の彫り物は生活の中に密着していたことが分かりますね。

(2019年5月16日号)

vol.46

今年4回だけの特別ツアー
 多くの雲蝶ファンの要望もあり今年は4回だけ限定で、「ワンランク上の雲蝶ツアー」と題して、5月から8月までの第3日曜日に別便の雲蝶ツアーを企画いたしました。
 一度に全ての作品を鑑賞するのは困難ですが、少しずつ違った作品を鑑賞するのも改めて感動できる機会だと思います。
 西福寺開山堂と栃尾の大作を巡ります。三国街道を外れた東側の山間の地に、魚沼と同じように雪深い地域で作り置きした作品は、やはり同じように地域の人々に守られて現在に至っています。
 雲蝶さんが魚沼入りするよりも、もっと早く完成している栃尾の大作に感動して頂けることと思います。参加費9千円、サプライズあり!!
お問合せ先 六日町観光協会

(2019年3月31日号)

vol.45

かつての雲蝶と源太郎の作品に酷似?!
 三国街道がにぎやかだった頃、雲蝶と源太郎は塩沢宿で商売繁盛していた薄荷油の立て看板を依頼されたのです。雲蝶は鈴木屋の、源太郎は平野屋の共に屋根を越えるほどの高さの看板でした。三国街道を往来していた旅人はその大きさに、さぞ肝をつぶしたことでしょう。
 この看板をそっくり真似をして更に大きい11mの看板を作った人がいました。長岡摂田屋のサフラン酒本舗の創業者が、三国街道に建っていた2つの立て看板を見て、明治44年に建てられたものが現在復元されています。今は無き2人の立て看板は、この摂田屋でイメージすることができます。

(2019年3月1日号)

vol.44

安兵衛が癒された空間
 このお宅にはまだ雲蝶の匂いがします。
 当時雲蝶は幾度となくここを訪ねて当主のもてなしを受け、まるで我が家のような居心地のいい空間、それは気兼ねをしなくていい間柄でないとできない癒しの空間です。その部屋が現在の当主によって大切に守られてきました。
 四枚の襖は四季折々の花鳥を描いた刻銘入りの置き土産です。当時の間取りはそのまま現在に残され、囲炉裏に下がる鯉の自在鉤は、煤で黒くなる度にタワシでゴシゴシ擦ってきたので、雲蝶の得意の深彫りが平たくなってしまいました。こんなところに長く続いてきた交流が垣間見れます。
 こちらの当主は雲蝶とは言いません。まるで家族のように「安兵衛」と。

(2019年2月1日号)

vol.43

開山堂の幽霊
 三間四方の開山堂、正面右側の彫り物を観たことがありますか?
 「永平寺血脈池縁起」の彫り物で、波多野義重公の侍女が殺されて池に沈められ、夜な夜な幽霊となって現れる為、道元禅師が血脈を授けて成仏させるという話ですが、この恨めしそうな表情を観てください。ギヤマンの効果を上手く使い、何とも身震いがするほどの顔の豊かな表現力は、雲蝶でなければ表すことができないと思います。そして観る位置により表情が僅かに変わる事も技の一つです。

(2018年12月1日号)

vol.42

 『石川雲蝶と魚沼の人々』と題するブックレットを出版しました。なぜ雲蝶が魚沼という厳しい豪雪の中に、長年に渡り身を置くことができたのか、その訳が判ったような気がしたのです。すなわち、交流を繋いできた魚沼の人々がいたからに違いありません。
 三条に家族を残し単身赴任で魚沼にやってきた雲蝶は、定まった住まいがある訳ではなく、寺や檀家の家を仮住まいとしながら、魚沼各地の集落を渡り歩いて仕事をしていたのです。
 その言い伝えや足跡が現在でも残り、それは今留めておかなければやがては消えてなくなってしまう危機感を覚え、どうしても記録に残しておきたかった一冊です。

(2018年9月30日号)

vol.41

 誰もが知っている雲蝶と源太郎の出会いの三国峠権現堂。二人はここでお互いの腕を競い合ったと伝えられます。
 この権現堂が何代目になるのか定かではありませんが、確実に二人はこの峠を越えて越後入りしています。
 当時の情景を想像したくて、今となっては誰も通る事がない三国街道の旧道を歩いてきました。
 権現堂の前で出会い、腕比べをした彫り物はこのお堂に奉納して二人は峠を下ったとされています。
 今も現存する権現堂は、当時から峠を行き交う旅人のお助け小屋だったんです。

(2018年9月1日号)

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